太陽ガス 暮らしのインフォメーション

  • home
  • てげてげ日和
  • 【第17回】日本一の大綱引といえば、熱き男たちの闘い「川内大綱引」!

TEGE TEGE BIYORI てげてげ日和

大自然に恵まれ、豊かな食、
魅力的な人が集まる南国・鹿児島—。
「てげてげ日和」では、
鹿児島生活10年目のライター・
やましたよしみが、
鹿児島の素敵な人・モノ・風景などを
ご紹介します。

2018.01.10

【第17回】日本一の大綱引といえば、熱き男たちの闘い「川内大綱引」!

鹿児島県薩摩川内市に400年以上も続く祭りがある。毎年、秋分の日の前日に開催される「川内大綱引」。昨年で418年目を迎えた川内大綱引は、九州の背骨とも言われている国道3号線を舞台に約3000人もの男性らが上方(赤)、下方(白)に分かれて大綱を引き合う。大綱は長さ365m、直径40cm、重さ7tともいう超特大サイズで、大綱引の当日に1500人ほどの市民によって練り上げられる。この雄々しい祭りは、見ると聞くでは大違い。目の当たりにした際、その熱気に圧倒される。ここはひとつ薩摩川内市民として、あらためて『てげてげ日和』でもご紹介したい!

大綱を引く下方の男性たち。緊張感が伝わってくる。

大綱を引く下方の男性たち。緊張感が伝わってくる。

勇壮な川内大綱引に面食らった初見学。

数年前に初めて川内大綱引を目にしたときは、正直クラっとした。見たこともない太い綱を約3000人もの男性たちが荒々しく引き合う姿、相手の陣地に突進してぶつかり合う様…、初体験の勇壮さに面食らったのである。なんだか怖いような、ここにいる自分が場違いなような、どうにもソワソワしてしまって一緒に見学していた夫に「か、帰りたい…」とボソッと伝えるのが精一杯だったような…。

川内大綱引の起源と、伝承されるもの。

400年前といえば、江戸時代。川内大綱引の起源は慶長年間(1596~1614年)にあると伝えられている。まさに戦の時代ーー。正確な記録がなく詳細は不明ながらも川内大綱引保存会では、豊臣秀吉の命で島津義弘が関ヶ原の戦の前に、薩摩藩の士気を鼓舞する目的で始まったとの伝聞をもとに年数を定めているのだそう。現在、川内大綱引は鹿児島県の無形文化財にも指定されている。

昨年の開催日の一週間ほど前、私は街中にある喫茶店にパソコンを持ち込んで仕事をしていた。すると顔なじみのマスターが「今日は夜のバー営業はお休みして、早じまいするんです。綱引きの前は毎年こんな感じなんですよ」という。どういうことかと詳しく尋ねると、川内大綱引の開催前になると上方、下方の両陣営が互いを意識し、街中にどこかピリッとしたムードが漂ったり、積極的な交流が控えられたりして夜の街も閑散とするというのである。それほどまでにこの祭りは薩摩川内市の街中の雰囲気を左右するのだ。

独自のルールを知るとよりおもしろい!

綱引というと、ふたつのチームが一本の綱をお互いの陣地に向けて制限時間内に引き合い、優劣を競うのが一般的なルールだろうか。川内大綱引は一見するとその熱気で存在を忘れてしまいそうだが、実は厳密なルールがある。これを知っておくと観客としても、川内大綱引がより一層楽しめるのだ。

では、簡単に解説しよう。毎年、開催日が近づくと中心旗を掲げるダン木を中心に川内川方面を下として、上方(赤)と下方(白)に分かれ作戦本部が設置される。そして、両軍はあの手この手を使って引手集めに奔走する。なぜなら参加人数には制限がないからだ。そして、人が集まると3つの舞台に配属する。ひとつ目は、縄の中央部に陣取り肉弾戦で相手を押して体制を崩す「押し隊」。ふたつ目は、押しの後方に位置する「引き隊」で、太鼓の合図に合わせて文字通り綱を引く。ときに綱を高く持ち上げたり、綱に座って動かないようにしたり、さまざまなテクニックを繰り出す。3つ目が「わさ係」。わさというのは綱の両端に作られた太い輪のことで、わさ係はそれを扱う。相手に綱が引かれつくす寸前にわさ係がわさを中央のダン木にかけることで、相手の攻勢をストップさせ、そのうちに作戦を練り直して反撃に転ずるのだ。つまり川内大綱引はこの攻防の繰り返しで成り立つ。

ダン木にわさをかけたあとの様子。

ダン木にわさをかけたあとの様子。

当日はダン木祭りと呼ばれる安全祈願祭が執り行われ、これが終わるといよいよ始まり! と、その前に、もうひとつ語っておかねばならぬのが川内大綱引において上方、下方のそれぞれを統率する花形「三役」について。三役とは、川内大綱引の上方、下方において中心的な役割を担い、名誉な役職である。

まず紹介したいのが、10人ずつで構成される太鼓隊のトップ「一番太鼓」。川内大綱引では太鼓の音が引き隊への“引け!”の合図である。一番太鼓はダン木の上に乗せられた綱の上に乗って、審判長の合図のもと太鼓を叩き始める。さらに、引き隊を中心とした全体をまとめる役職が「大将」。中心から綱の両端にあるわさまで移動しながら全体を把握しつつ鼓舞する。最後に「押大将」。相手の引き隊を制しに行く、押し隊の中心になる役である。約3000人もの参加者はこの三役のために、懸命に綱を引くといっても過言ではない。毎年、三役は記念の集合写真を撮影し、新田神社にも奉納されるというから驚きだ。

両軍の押し隊が押し合っている。見ているだけでハラハラドキドキ!

薩摩川内市民たちの記憶と、生きた証。

太鼓の音とともに大綱を引き合う上方、下方の両軍ーー。熱気を目の当たりにし、ふと悠久の物語に思いを馳せる。この街にとって“川内大綱引”とはただの祭りではない。この日綱を引いた男性らの祖父の祖父の、そのまた祖父も、一年に一度、ずっと綱を引いてきた。川内大綱引には、時の流れと、人々の営みと、血や骨、純度の高い魂が、今もなお込められている。そして、それは未来へと続く。400年以上も続く、この土地で生きているものたちの記憶と、生きた証である。

躍動感がたまらない! 川内大綱引のダイジェストムービーをご覧あれ。
平成29年度 川内大綱引 418年祭 (川内大綱引保存会) 天國映像/撮影・編集

取材・執筆
やましたよしみフリーランスの編集者・ライター。鹿児島県薩摩川内市在住。浜松市出身。
大学卒業後、IT関連企業を経て、出版社、編集プロダクションに勤務。
主に女性向けフリーペーパーや実用書、育児情報誌などを制作。
2011年、東京から鹿児島へ移住。2012年よりフリーランスとして活動している。
得意分野は、食と暮らし、アート。二児の母でもある。
■ブログ http://yamashitayoshimi.blogspot.jp

てげてげ日和 TOPに戻る