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WE ARE THE TAIYO GAS 我ら太陽ガス

太陽ガスで働く仲間たちを紹介する
インタビューシリーズです。
仕事のこと、プライベートのこと。
地域密着型エネルギー会社で働く
社員たちの日々の思いをご紹介します。

2023.06.01

“社員は兄弟”、共に歩む未来のために



いよいよ今回で最終回を迎える「われら太陽ガス社員紹介」。
最後を飾るのはやはりこの方、太陽ガス3代目社長 小平昇平さん。
昇平社長は一昨年(2021年)10月に先代の小平竜平さんよりバトンを受け、代表取締役社長に就任した。
串木野出身の昇平社長は小中高の学生時代を鹿児島で過ごし、大学入学を機に関西へ。
大学では農学部に所属し、バイオ学(大腸菌の遺伝子組み換えなど)を学んでいた。
卒業後は、父の勧めもありアメリカへと留学。

渡米してからの2年間は、大学で英語や食品の勉強をしながら連休になると醸造所に通いワインの勉強をする生活を送っていたそうだ。
「子供の頃から父や周りにいる大人たちがとても楽しそうにお酒を飲んでいる姿を見ていたからか、大学生の頃からお酒にとても興味がありました。親分肌の父だったので今では考えられないけれど運動会は“どんちゃん騒ぎ”(笑)。良いお酒も飲ませて貰っていたし、当時は自分のやりたい事を目指せる環境だった。“酒飲みの血”のせいもあるのかな?」と笑う。

留学を終えると東京で物流関連の会社へと就職。
「幸い英語が話せたこともあり、買付の検品員としてアイスランドやカナダなど世界中を飛び回ったりというような経験もさせて頂きました。初めは3年くらい修行のつもりで…と入社したけれど、祖父が亡くなる1年ほど前、父から、叔父(竜平さん)が大変そうだから助けてやってくれ…と話があり。叔父とじっくり話をして帰鹿することを決意し、その1年後後継として太陽ガスに入社しました。私の実家はガスやガス器具の卸やシステムなど色々な仕事をする商社だったので、どちらかと言うと太陽ガスは『叔父さんがやっているガスの仕事』みたいな見方をしていました。意外と身近ではなかったですね。まさか自分が継ぐなんて想像もしていなかった」と振り返る。

それまでは、好きなことをやらせて貰える生活だったが、“経営者の息子”という立場であることはよく分かっていたという昇平社長。楽しく働いていた会社を辞め、後継として太陽ガスに入社することに大きな抵抗はなかったそうだ。
「そんなことより、叔父を助けてあげたいと思いました。まずは3年間工事の仕事をして、誰も追いつけない程の技術を身につけて…それから〜なんて自分なりのプランを持ってはいたけれど、実際は入社1年目で松元営業所の所長にさせられて(笑)。その後本部へ移動すると、広告や総務・経理・法務・人事など、経験のケの字もないまま、業務をこなす日々。引き継ぎ用にと準備されていた手書きのノートを何度も確認しながら2、3年はヒーヒー言いながら仕事をしていましたね(笑)。」と、当時を振り返り苦笑いを見せる。

「私は帰鹿してから15年を目標に…と考えていましたが、叔父からは10年で代替わりを…と言われていました。決して計画通りとはいかなかったけれど、社長になれと言われてから12年半を迎えた一昨年、社長に就任しました。叔父が言っていた10年と自分が目標としていた15年…。ちょうど真ん中でしたね(笑)」
“社長”という肩書きを持ち、“立場”は変わっても、“立ち位置は変わらないもの”だと思っていたと話す昇平社長。
「正直、社長という立場を舐めていましたね…。自分で話したことが全てルールになってしまうことがやっぱり最初は怖かった…。自分がいざその肩書きを背負った時、初めてその苦労がわかりました。叔父は自分の手で自分の番組を作る“ディレクター”の様な人でした。でも自分は、どちらかと言うと“プロデューサー”に近いのかな?私は社員それぞれがどんな番組を作るのかを見てみたい。みんなが作る世界観を見たいのです。ならば、社員全員の世界観を知らなければならない。とは言え、“会社が続くために必要なこと”もあるし…。その中間点と環境をどの様に作れば良いか?ということを常に考えています。」

昇平社長は今、社員全員との面談を実施しているそうだ。社員1人1人としっかり向き合い、業務内容や目標をヒアリングすることで社内全体の制度改革を試みている。
「社員と面談してみると、『もっとこうしたい!』とか『こう成りたい!』。『こんな道具が欲しい!』なんて色々なことを話してくれます。とても価値のある時間。それは会社の将来のためにもなるし、自分のためにもなる。沢山の気付きがありました。先代はみんなのために身を粉にして働く“お父さん的存在”でしたが、私はどちらかというとみんなは“兄弟のような感覚”かな。自分が人より優れているなんてことをこれまで一度も思ったことがないから(笑)。みんなも同じようにできるはずだと思う人間だから…。個人的に私は太陽ガスが好きで、社員みんなのことが好きなので今こうして制度改革を行なっています。新規事業を始めた方がいいのではないか?なんて欲求が正直沸々と湧いては来るけれど、『落ち着け』と今は自分に言い聞かせています(笑)。

今の時代、県外からも色々なガス屋さんが入って来ているし、カーボンニュートラルといって2050年にはガス以外のエネルギーを選んだ方が補助金や助成金を受けられる時代になっていきます。20年後、みんなが同じようにここに居て、同じように食べていける、働ける環境を作ることが自分の仕事。これから入社してくる20代30代の若者たちが10年後、20年後安心して働ける体制つくりをしていかなければならない。じゃあ何をしなければいけないか…?と考えた時、私たちは何でも出来るようになっておかなければならない。ガスのことだけではなく電気のことも水道のことも。どんなことでも頼ってもらえるような立ち位置を作っておかなければならない。お客さんの困りごとを自分事として解決できるようになっておかなければならない。
私たち太陽ガスは、地域の皆さまに支えられながらここまで成長を続けてきました。

世界の状況に振り回され、仕入れ値が大きく変わったりと影響を受けやすいガス事業。そういう環境から脱却するため、水力発電と小売、電気の送配電を地域内で独立させたい!という先代の強い想いがあり、水力発電事業を開始しました。『地域のエネルギーは地域で作り出す』未来のために出来ることは増やしていかないと。私は、太陽ガスは極論すると会社ではないと思っています。分かりやすく言えば、太陽ガスは個人事業主の集まりのような感覚かな?一人一人が売れている。一人一人がお客さまに慕われている。だから、会社ではなく、みんなが偉い。未来を見据えた土台つくり。兄弟と共に歩む10年後、20年後を見据えて、未来のために、今私に出来ることをやっています。」
いつも穏やかな表情で社員と楽しそうに戯れる昇平社長だが、会社の、社員の、そして地域の未来を語る表情は、大勢の未来を背負う『社長』としての真剣な眼差しだった。

最後に、「社員みんなの事が可愛いですか?」と尋ねてみると、
「可愛くはないけど…好きかな(笑)」と照れ臭そうに答えてくれた。

小平昇平 さん

代表取締役社長

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