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RESEARCH INSTITUTE OF ELECTRIC POWER INDUSTRY 未来電機研究所

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2016.02.02

第7回〜らせん水車の歴史〜


皆さん、こんにちは。鹿児島のエジソンこと、吉留です。
今回はらせん水車の歴史についてお話します。

まず、らせん水車が何を元に開発されたのか?と言うこと。
諸説ありますが、有力なのが、ドリルのらせん溝からヒントを得た説。
そしてもう1つが、船のスクリュー(プロペラ)からヒントを得たと言う説。

そもそも生みの親は富山の大工道具の鍛治/元井豊蔵氏
(1888-1927)で、大正初期に作られました。
せせらぎに流れる水資源を利用すること、また、軽便な水車で勾配の少ない地域で
手軽に利用できることを念頭において、開発されたそうです。

昭和初期までの富山県は『水電王国』とも呼ばれ、
石炭火力発電が始まるまでその豊富な水資源での発電が行われていました。

当時のらせん水車の広告があったので、紹介します。

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謳い文句がすごいですよね、只デ働ク螺旋水車(笑)

用途としては動力(脱穀や製粉等)としての利用が多かったようですが、
当時のモーターやエンジンはまだまだ小型・軽量化なんてできていない時代、
ある程度の大きさでも手軽に使えるものが普及していった、ということでしょうね。
らせん水車が開発され、爆発的な普及が進んだと言います。

1910年ごろは富山県内でも1,000台ほどしていなかった水車も、らせん水車の販売が始まってから、
普及期、最盛期と移り変わり1930年ごろには10倍越の11370台ほどが稼動していたんだとか。

しかしながら、1950年頃になると、高効率なモーターが普及し始め、
瞬く間に水車の稼働台数は、減退することになったそうです。

それからと言うもの、発電は大出力が得られる火力や原子力と言った方式へ、
動力は化石燃料を使ったエンジンや、電気を使うモーターなど、
高い効率と出力の得られる方式へと移り変わりました。

最初に開発されたのが1920年頃とすると、
90年ほどの時が経って今、らせん水車に動きがあります。
僕たちのみならずですが、当時の人たちが考えたように、
低落差で手軽に発電できる(動力の可能性もあります!)ことから、
当時程とは行きませんが、普及して行くのでは?と思います。

簡単になってしまいましたが、今回はここまで。
次回からは少し別の角度から僕たちの活動をお伝えしますね!!

※ブログ「螺旋水車の時代」http://rasensuish.exblog.jp/20932825/ より、
画像を引用させていただきました。

▼「太陽ガスの地域電力」について、詳しくはこちら!

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▼「太陽ガスの電源トリオ」って?

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